リベラルアーツとしての音楽

夕方にコーヒーを飲んだからか、なかなか熟睡できず、いろいろなことが頭の中を駆け巡る真夜中。。

ここ数年、ずっと気になっている言葉「リベラルアーツ」について書こうと思います。

リベラルアーツ=教養ではなく「自由の技術」であり、何らかの物や事柄について考えるための基礎となる知識や思考の型のこと。

古代ギリシャやローマ時代のリベラルアーツは、奴隷としてでなく、自由に生きる者に必要とされた技術・技法のことを指す言葉であり、具体的には、文法・修辞・倫理・算術・幾何・天文・音楽の「自由七科」を指していた。

中世ヨーロッパの大学制度に受け継がれ、神学・哲学なども加わり、近現代において、エリートが身につけるべき、人文科学・社会科学・自然科学の多様な学問の基礎にあたるものがそう呼ばれている。

上海から本帰国後、なぜか活字中毒になり、その中で興味をそそる内容を掘り下げていった結果、全てはリベラルアーツに繋がっていると気がついた。

知れば知るほど、もっと知りたいと思い、どんどん引き込まれていく。

同時に、いつもそばにいる息子が興味を示す物事は、ほとんどがリベラルアーツに含まれていることにも気がついた。

更に、上海在住時代、モンテッソーリ教育の幼稚園へ通っていたこともあり、そこでのカリキュラムも、リベラルアーツに近しい内容だったとも思う。

私自身は、日本の音楽大学でフルートを専攻していたけれど、そこで学んだのは、音楽だけに特化した専門性。

そんな私が一般企業に就職して感じるのは、音楽の専門知識や技術だけでなく、社会人として・・・と言うよりも、人間として生きていくために必要な、リベラルアーツとして音楽を学ぶことができれば良かったという点。

今よりも更にAI化が進むこれからの時代こそ、リベラルアーツを学んで、生き方の土台を育てることが大事なように思う。

我が子はもちろんのこと、これからの時代を担う子供達に、私ができることは何だろう?

音楽、特に楽器演奏に関しては、今の日本では、幼い頃から習うにはお金がかかり、どんな子供にとっても敷居の低いものではないように思う。

楽器演奏自体を体験させるのもちろんのこと、クラシックのコンサートは「未就学児の入場はご遠慮ください」となっていることが多く、生の音楽を聴く機会も多いとは言えない。

音楽演奏科学的には、ピアノを弾くと脳の働きが良くなるし、聴くより弾いた方が耳も良くなり、感動が深まるそう。

そんな機会を、格差なく全ての子供達に与えられる場を作れないか?

たとえ楽器に触れることができなくても、生まれてすぐに、いや、お腹の中にいる頃から誰にでもできる音感教育もあるし、そういうノウハウをシェアしていけたら素敵だな、なんて考えている今日この頃です。

音楽は、人生を豊かにしてくれるものの一つ。

感情表現や自己実現はもちろんのこと、生きていく上で必要な、粘り強さや夢中になること、コミュニケーションのとり方、全て私は、音楽から学んできた。

リベラルアーツに「音楽」が含まれ、自由人として生きていくために必要な理由は、私の人生を振り返ってみれば納得。

就職活動をしていた頃や、入社2・3年目の頃は、楽器メーカーに就職し、フルートを吹くことも業務の一部であった環境の私でさえ、音楽を学んできたことは、特殊な専門分野であり、実際の業務上では役にもたたないと思っていたけれど、それは全く逆だったと、今だからこそ分かる。

中学生の頃フルートに出会い、直感を信じて極める道を選んで良かった。

音楽を学んできたからこそ、今の私がいる。