人生の夏休み

3月28日の記事にも書きましたが、このコロナ期間は、私にとっては「人生の夏休み」。

仕事(在宅勤務)以外且つ家事の空き時間に、このブログの過去記事のカテゴリー登録をしていると書いた通り、どんどん過去へ遡っているのですが、2014年末頃までかと思いきや、なんと2013年3月まで遡ってもまだカテゴリー「未分類」記事が残っています。。

まぁ東京の緊急事態宣言は今月末頃まで解除にならなさそうだし、なったとしてもおそらく在宅勤務は続く&外出自粛は続けようと思うから、まだまだ時間はたっぷりありそうということで、このまま気長にコツコツ進めます。

過去の記事を遡っていると、上海に住んでいた頃のいろいろな出来事を思い出し、住み慣れた日本という国を離れて、異国の地「中国」で暮らしていた日々と、今の日本での自粛生活を比較してしまうのですが、今の状況は、家にいても日本製の物や食料は手に入れることができるし、一歩外へ出たからと言って、尖閣諸島問題で反日デモが起こった頃のように、身の危険に怯えるほどではないことを思えば、自分や家族を守るために自宅で過ごすことは、私にとっては全然耐えられるどころか、仕事や買い物のための移動時間がなくなり、家族で過ごす時間や自分の時間が増えたわけで、いいこと尽くめな気すらしています。(もちろん、ありがたいことに在宅勤務させてもらえているから。)

東京のスーパーでは品数が少ない赤味噌も、これまでは実家へ帰省した時に2つぐらい買って持ち帰ってきていました(車で)が、しばらく帰省できないからネット購入してみようと思いつき、箱買いしました(笑)

これが上海に住んでいた頃は、一時帰国時に1つだけスーツケースに詰めて運んでいたわけで、それに比べたら比較にならないほど便利で快適ということに、日本にずっと住んでいたら気がつかないかもしれない。

東京に住み始めた5年前から利用している食材宅配サービスを、ここ二ヶ月は週2~3回に頻度を上げているのですが、やはり大人気なようで、毎回半分ぐらいは欠品で届けてもらえないものがあるわけだけど、たとえ少なくなってでも自宅まで届けてもらえるだけで十分ありがたいと思えるから、「いつも助かります」と伝えています。

これが上海で生活していた頃を思い出してみると、自宅周辺で調達できないものは、わざわざマンションのシャトルバスや地下鉄・タクシーに乗ってまで、日系や外資のスーパー・百貨店まで買い物に行っていたわけだから、日本の安心安全な食材を自宅まで届けてもらえたり、近所のスーパーへ行けば何かしら購入できる今の環境は、買い物頻度を日常より少し下げたとしても、全く問題ないどころか、やはりありがたすぎると感じます。

人って、自分が生きてきた日常があたりまえと思っているから、その日常よりも制限のある生活を強いられると、元の日常に戻りたいと願う。

私ももちろんそうだけど、でも世界を俯瞰してみると、同じ地球上に生きている人類の中で、ここ日本の生活レベルはとても恵まれたもの。

そこに生まれただけでも奇跡的に幸せなことだと思うし、私は今の状況でも、「自分」という存在を生きることを十分楽しめると感じています。

 

もう一つ、旅行やお出かけについて。

息子に本物に触れる体験をさせたくて(もちろん自分自身も)、上海在住時代は近郊や中国国内はもちろんのこと、海外旅行にもたくさん行ったし、本帰国してからは、車で出かけられる関東周辺や東北・北陸、実家がある東海~京都周辺はじめ、長期休暇には沖縄本島や離島にも行っていた我が家。

コロナが蔓延する直前は、ふっこう割を利用して温泉旅行へ3回行ったわけですが、今思えば、好きな時に好きな所へ自由に行けることって、人生を謳歌するためには必要不可欠な要素。

行ける時に行きたい所へ行っておいて本当に良かったと思える反面、with コロナとなっていく今後(常に感染リスクと隣り合わせ)を想像すると、もしかしたらこれまでのように、気軽に海外旅行はできなくなる未来が訪れるかもしれない。

そう思うと、やりたいこと且つできることは今すぐ行動し、実現していくことが大事だし、お金はそのために使うべきものと改めて認識する今日この頃。

いくらお金を持っていても、使いたいことのために使えない未来がやってくるのだとしたら、今、何を実現させたいか・・・?

 

きっとこの数ヶ月は、歴史に残るし、歴史として語られる期間だと思うので、今の自分が考えていることを書き記したくなりました。