自分を大事に

定時より2時間の短時間勤務に変更してから四ヶ月ほどたち、時短取得での働き方や業務内容、そしてお給料の減額具合が見えてきて、自分の中で、いくつか納得できないことがあったけれど、人員不足で周囲のみんなが大変な中、ただでさえ時短勤務させてもらっているのに、これ以上わがままは言えないと思い、モヤっとしたまま状況が変わるのを待っていた私。

一ヶ月の中で終わらせなければならない責任重大な業務の山場でもあった先週、毎日限られた時間内で必死に進めている中、イレギュラーな業務が立て続けに舞い込み、全く余裕がなくなってしまい、ついに溜め込んでいた不満を吐き出してしまったけれど、その結果、私がモヤっとしていた部分は解決に向かいました。

なぜ溜め込んでいたのか振り返ると、「私が我慢すれば他の人が楽になるから」と考えていたけれど、でもイコール、それは自分自身を大事にしていないことだと気がつきました。

なぜ、自分が納得できていないことを、他人のために見て見ぬふりをするの?

自分を犠牲(今回の場合は勤務時間外の時間=お金)にしてまで、他人の幸せを心から望んでいるの?

自分で自分を幸せにしなければ、他人を幸せにすることなんてできないはず。

納得できていない自分を騙し続けるほど我慢した結果、一体誰が何の得をするの?

結局のところ、誰にも何にも幸せは訪れなくて、誰かが無理をすればするほど、会社にとっては問題視されなくなる。

今回の件は本当に小さなことだけど、事の大きさに関わらず、こういうことの積み重なりが、ニュースに取り上げられるような事態に発展していくのかな?と感じました。

短時間勤務を取得すると、なんとなく周囲に申し訳ない気がしちゃって、小さな不満は口に出さないようにしようと思ったり、何かと遠慮しがちになってしまうけど、実際にはその分お給料を引かれているわけだから、遠慮しすぎるのは良くないと思いました。

中国から帰国して二年半、中国で身につけた「言いたいことは言う」精神が、すっかり薄くなってしまった自分にも気がついたし、この一通りの想いを、同じ職場の先輩に話したら、的確なアドバイスをくださり、とっても元気が出ました。

そんな先輩方とよく行くタイ料理屋さんの、いつかのランチ。



価値観の合う女性の先輩は、見習うべきところがたくさんあり、心の支え。

会社での出来事は、私の生活の中のほんの一部のことだけど、だからこそ、「仕事だから」と諦めるのではなく、会社での自分の気持ちも大事にしたい。

自分の中でしっかり見つめ、理にかなっていてわがままではないか、自分自身で見極めた上で正しいと思うことは、我慢することなく伝えるようにする。

そうして自分のことを大事にしていかないと、心と言動がチグハグになり、精神的に病んでしまうのだろうな、と最近思います。

私は、自分のことを大事にしたいし、他人にも優しくできる自分であるためにも、正しいことは正しいと伝えて、自分も他人も大好きな状態で楽しく働きたい。