ありがとうの気持ち

先日読んだ本に書かれていたこと。

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信頼は98%。あとの2%は、相手が間違った時の許しのために取っておく。

この世に完璧な人間などいない。心に2%のゆとりがあれば、相手の間違いを許すことができる。

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相手を100%信頼するから、相手が間違った時に許せなくなる。

相手も自分も間違うことがあるかもしれない、と思っていれば、何かあった時に許すことができるという考え方。

あー、なるほどなぁと思った。

 

大好きな人や大切にしている人から、全く予想もしないことを言われたりされたりすると、それまで100%信頼していたのになんで?と、相手のことを信じられなくなってしまう。

そんな時、もともと間違うことがあるかもって思っていたとしたら、「まぁ、そんなこともあるよね」と許すことができるだろう。

 

人間、誰でもそうだと思うけれど、自分が誰かのために何かをしてあげて、その相手が喜んでくれると嬉しい。

「ありがとう」と言われれば言われるほど、その喜びは大きくなる。

でも、自分がしたことに対してそれほど感謝されなかったり、その時は感謝してもらえても、長い年月が経って、自分が相手のためにしたことへの感謝の気持ちをすっかり忘れられてしまった時などに、上記のようなゆとりがあれば、きっと許せるのだろう。

 

そもそも、やっぱり見返りを求めてはいけない、ということなのかもしれない。

じゃあ自分は、よくしてもらった人に対して、しっかり感謝の気持ちを伝えているか?

さらにはその御恩をお返しできているのか?

 

例えば一番身近なところで、自分を生み、育ててくれた両親への感謝の気持ちを、今でも伝えているか。

今の自分がいるのは、これまでお世話になってきた方々のおかげ。

希望の高校へ入るため、私のことを特待生として推薦してくれた中学校の部活の先生。

私に本物の「音楽」を教えてくれた、高校の部活の先生。

高校時代にフルートを教わった先生と、大学受験から大学卒業まで師事していたフルートの先生。

就職する時お世話になった大学の先生と、私を内定へと導いてくださった会社の方々との出会い。

働き始めてからお世話になった職場の方々や吹奏楽団のメンバー、私にたくさんのチャンスをくださった上司の方々。

これまでの人生で出会ったお友達や先輩後輩、ご近所の方や家族・親戚など、全ての皆様。

そして、一番身近なのに一番忘れがちなダンナへの感謝。

同じく身近だけど、毎日のように「生まれてきてくれてありがとう」と思わせてくれる息子。

そんな、たくさんの方に支えられて生きている私。

そう思うと、しばらく疎遠になっている方に会いたくなるし、「ありがとうございます。あなたのおかげで私は今、こんなふうに生きています。」と報告したくなる。

それが一番の恩返しなのかもしれない。

 

私は、自分が何かをした相手から感謝されているかどうかよりも、自分によくしてくれた方に感謝し、恩返しの意味を込めて、今度は自分が誰かのためにできることをしていきたい。

そんなことを思う今日この頃です。

10年前に、このことに気がついていればなぁと思うけれど、きっとこの10年があったからこそ、今の私はそう思えるのでしょう。

ああ、こんな想いを込めて、コンサートをしたい!

 

午前中、掃除をしながらそんなことを考えていました。

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