今朝、息子が幼稚園の入口の前で、初めて泣いてしまいました。
入園式から数えて六日目、一体息子の中で何が??
そのこと自体はそんなに深く考えていないのですが、一人で家に戻ってから家事をしながら、自分の幼い頃のことを振り返ってみました。
私自身が幼稚園へ通っていた頃、幼稚園が好きだったか?と聞かれると、好きでも嫌いでもないという記憶。
小学校は、どちらかというと好きではなかったような気がする。
中学校は、フルートに出会い、部活にのめりこんでいたからか、けっこう好きだった。
吹奏楽部の特待生として入学した高校も、勉強はほとんどした記憶がないけれど、実家から少し離れた名古屋市内の私立に電車で通っていたのもあって、学校帰りに寄り道をして遊んだりと、楽しい記憶しかないぐらい。
念願の音大へ入学した大学時代は、学校そのものが楽しいというより、バイトをしたりコンパへ行ったり(笑)、ぶっちゃけ学校以外が充実していて楽しい毎日だった。
就職して社会人となってからは、もちろん初めの頃は慣れるのに精一杯で大変だったけれど、仕事や吹奏楽団の活動が軌道にのり出すと、充実した毎日だった。
こんなふうに振り返ると、部活や好きなこと(仕事含む)をしている時間は楽しい記憶として残っているけれど、勉強など、人と比べられて評価されることは、私にとってはいい思い出がない。
というのは、そもそも勉強自体が嫌いだった(音楽は除く)し、音楽や国語などの得意教科以外は、心底勉強する理由が分からなくて、努力する価値を見いだせなかった。
思えば、小学校から大学まで、自分の全てが評価の対象だったし、好きなことを仕事としていた私はそれほど感じていなかったけれど、会社での仕事ぶりもやはり、評価されるもの。
それが、ダンナの駐在帯同という形で上海に来て、一旦退職したことにより、私は幼稚園以来初めて、人から評価される対象ではなくなった。
それどころか、海外だからか、それともはたまた中国というお国柄か、「人からどう見られるか」ということを、いい意味で気にしなくなった。(もちろん、気にすべきところもあるけれど。)
上海に住んでもうすぐ二年となる今、いつの間にか、「私は私」と堂々と言えるようになっていて、学生時代のような、「所詮私なんてこのぐらいレベル」とか、社会人時代のような、「私は会社に雇われている身だからこれはできない」みたいな、自分が勝手に作り出していた縛りがなくなり、いろんな意味で自由になれたと感じる。
自己肯定感が強くなったと思うし、それって人として生きていく上で、ものすごく大切なことだと思う。
だから息子には、人から評価されることを気にしないでのびのびと成長していってほしい。
いつの日か本帰国して、会社に復職する日がくるけれど、その時の私は、中途採用という扱いになるそうなので、「同期」という枠での評価も気にしなくていいかと思うと、これまで以上に自由に仕事ができそう。
私は吹奏楽団の枠で入社していて、同じ条件で入社している同期は私以外に二人しかいないから、もともと同期に対してそういう感覚は持っていなかったけれど、逆に、総合職で入社している方と同じ仕事を任された時、嬉しい反面、「私がやらせてもらっていいの?」みたいな申し訳なさを感じていた。
一度退職して、上海での海外生活を経て復職する頃には、自己肯定感はきっと、今よりも強くなっていると思うから、以前勤めていた頃に抱いていたネガティブさはなくなっているだろう。
上海に住むようになって、視野も広くなったと思うし、人生をどう生きていったらいいのか見えてきたというか、ものすごくポジティブになれた気がする。
普段はなかなか言えないけれど、そんなチャンスをくれたこの人に、感謝の気持ちを込めて☆
ありがとう。